自己評価の低さ

あるホッテントリについて自己評価が低いやつはいらない、ということが書いてあってとても考えさせられる内容だった。
自分にはできないと思ってることって実は多かったりする。
今、調剤薬局でバイトしているけど、調剤業務しかやってなくて、監査業務はできないって思ってる。
疑義照会だってやってはいるけど、正直うまくやれてるなんて思えていない。



そもそも、調剤薬局やドラッグストアで人間関係をうまく築けているかどうかすら、微妙なところ。
もちろん、失礼のないような対応はしているけれども、それだけ。
円滑に仕事ができるようにコミュニケーションをとれているかといったら、とれていない。
ってか、本当は言いたいことあるけど、言えてないことだって多い。
たとえば、バイトのシフトを変えたいとか、もっと時間入れたいとか、そういう調整ごとについて。
さすがにできないなんて思ってないけど、そういうのって、労力もつかうし、めんどくさいと思ってる。



そんなことを言ったら医師の仕事なんてできない、と思われるかもしれないけれども、本当にその通り。
今から医師としてやっていけるのか非常に不安だ。
そもそも、大学の授業についていけるかどうかも、若干心配している。
だけど、周りにそんなことを言っても、同意してくれる人なんて誰もいない。
誰一人としてそんな心配をしているやつはおらず、みんななんとかなると思ってる。



このまえ、友人と話していたら、その友人は昔は自己評価が低かったけど、今は自分をほめてあげることができているという。
僕もその昔は自己評価は低かったけど、相変わらず低いままだ。
自己評価は成功体験に基づくって言われるけれど、本当にそうだろうか?
客観的に考えても、自分に成功体験がないわけではない。
会社でもそれなりの評価を受けていたし、会社に行きながら大学受験に合格した人は僕の学年内にはいないし、それはもしかしたら誇ってもいいことなのかもしれない。
でも、その成功体験にたどり着くまでに、自分には向いていないことやできないことが否が応でも目についてしまう。
それをみるととてもじゃないけど、自信なんてもてない。



ただ、別に自己評価が低くてもいい。
やっかいなのが、その低さを相手に隠そうとすることだと思う。
相手にいやな奴と思われたくない。相手を怒らせたくない。相手に迷惑かけたくない。
だめな自分を恥ずかしいと思う。できない自分は存在価値がないと思う。
自分はどうしようもなくて、なんもできなくて、そんな自分を認めることができない。
それを認めてあげて、だめなやつって相手に知らしめることができたら、きっと楽な生き方なんだろうな。



今の理想と現実の自分のギャップに苦しむ生き方か、
自分に期待しないゆるーい生き方か、
自分はできると思って自信満々に生きる生き方か。
いずれにしても、もっとわがままに生きてみよっかなーと思った今日この頃です。